オーバー30世代のスクラップ&ビルド

だらしない身体はいつでも鍛えられる

だらしない身体はいつでも鍛えられる

スポーツなどをしているから身体を鍛え続ける必要があるという理由以外で、ただただ「筋肉トレーニング」だけを目的として筋トレをする人間というのは、大別すると次の二つのパターンに分かれるのではないかと思います。

ひとつは、求道者タイプ。ただひたすら身体を鍛えるのが好きで、鍛え上げられた筋肉を獲得することそれ自体に大きな喜びを感じる、という理由で筋トレをするタイプです。

ボディビルダーなどはまさにこちら側ですが、ボディービルダーほど極端ではないにせよ、筋トレを通して「筋肉」というものそれ自体に惹かれていく男性は少なくありません。

もう一つは、異性にモテたいタイプ。

こちらは、加齢にともなってだらしなくなっていく自分の身体を鏡越しなどに見る、あるいは、異性から「ちょっと太ったんじゃない?」などと言われたことをきっかけにして、自分の身体の醜い形状に危機感をいだき、異性へのセックスアピールとしての身体を見つめ直し、筋トレを始めるタイプです。

これは、三十代に突入してからの男性に多い印象ですね。

二十代の終わりまではいくら食べても太らなかった、というような男性でも、三十歳を境目にすると、急激に太りはじめる傾向があります。

それまでの「あたりまえ」に従って生きていると、どんどん醜くなっていく三十代に突入するにあたって、その崩壊の進行を食い止めるために「筋トレ」にすがりつく、というような男性が、こちらのパターンには多く見受けられます。

二つのパターンは流動的である

私は、筋トレをしているこの二つのタイプの、どちらかが優れていて、どちらかが劣っている、などということを言いたいのではありません。

このように大雑把にタイプをわけて、後者のような「異性からのモテ」というようなタイプを提示すると、後者の男性に対して「筋肉を鍛えるための理由が不純である」などと糾弾するために分類したのではないか、などと疑われそうですが、誤解を避けるためにも、私にはそのような意図がまったくない、ということをあらかじめお伝えしておいたほうがよいでしょう。

むしろ、私は、「身体を鍛えよう」と考えること、また、実際に鍛えはじめ、トレーニングを継続し、鍛え抜かれた身体を手に入れることができたのであれば、その出発点である「理由」などは、いくらでも不純であっていいのだ、と考えているくらいです。

また、二つのパターンを提示しましたが、この二つのパターンはガチガチに固定されたものではなくて、筋トレの継続にしたがって、一方が他方に移行するような流動的な性格も持っています。

後者のタイプから前者のタイプに移行する、というパターンの男性も多く存在します。

はじめは異性にモテるために始めた「筋トレ」というものが、思いのほか楽しくなってしまい、自分にとって欠かせない「趣味」「生き方」のようになっていく、という流れですね。

ちなみに、私の場合は、前者から後者へとグラデーションが移動していったタイプでした。

これについては、いまいち流れがつかめないかもしれませんから、少し突っ込んで説明するとしましょう。

二つのパターンは重なりあう部分を持っている

私の場合は、求道者的というほどではありませんでしたが、柔道をやっていた学生時代からの習慣で、柔道部としての活動を終えたあとも、ストレッチや筋トレといった日常のトレーニングは、しばらく継続していました。

自分は「ファッション」が趣味でもありましたから、筋トレを継続していた理由としては、「だらしない身体よりは、ある程度引き締まった身体のほうが、気に入って購入した服がより似合うから」というものもありました。

筋トレを継続していたのは「習慣」でしかなかったのですが、「服」を着こなしたいという理由が、「異性からのモテ」という意識を刺激する方向へと次第に向かっていったのは確かでしょう。

自分は、異性にモテるためだけに衣服を着ていたわけではありませんが、そのような意識が皆無だったかというと、そうではありません。

私は、「服を着る」ということは完全な自己満足で終わるものではなくて、つねに他者に向けたコミュニケーションでもある、という考えを持っていましたから、服を着る、という行為のなかに、つねに、異性へのアピールが含まれていたのは事実です。

異性から、ほどよく引き締まった身体と、その身体を包んでいるファッションを褒められたことは「筋トレが異性の関心を引くこともあるのだな」と気付かされるきっかけになったのですが、これは、「筋トレ」という自己鍛錬と、やや不純にも思われる「モテたい」という理由が重なりあう瞬間でもあったわけです。

だらしない身体を直視することからすべてがはじまる

「日常的に筋トレを続けてきた」といいましたが、二十代後半から三十代の前半にかけて、仕事が忙しくなったこともあって、かなりの長時間、筋トレから気持ちが離れてしまった時期がありました。

この時期は、若さにあぐらをかいていた上に、ストレスから暴飲暴食を繰り返していた時期でもありました。

そんな生活がまたたく間に過ぎていき、三十代になって数年も経つと、私のお腹はぽっこりと膨らんでおり、下腹部には醜い脂肪がついておりました。

アルコール、不摂生な食事、加齢、そして、やめてしまった筋トレ。

身体をだらしなくしてきたすべての要因が、下腹部についた脂肪という形で可視化されていたのです。これには、かなり焦らされました。

異性から、自分の下腹部の膨らみについて酒席でからかわれたことと、気に入って購入した服がなんとなく「決まらない」のを鏡越しに見たことが、「筋トレを再開しよう」という決定打になったと思います。

再開を機に加圧シャツを試してみる

再開を機に加圧シャツを試してみる

私がぶくぶくと脂肪を溜め込んでいるのと歩調を合わせるようにして、世間ではちょうど「筋トレブーム」とも呼べるような大きな流れがきていたようで「加圧シャツ」なるものが注目を集めていました。

腹の肉を落とすための地味できつい腹筋トレーニングの方法などは一応知っていましたから、「加圧シャツ」などに頼る必要はなかったのですが、ものは試しだな、と思って「加圧シャツ」というのも試してみることにしました。

結論からいうと、「加圧シャツがなくても筋トレはできるし、筋肉をつけることはできる」というものになるのですが、この「加圧シャツ」を購入してみて、「よかったな」と思ったことがまったくなかったわけではありません。

加圧シャツだけで身体が鍛えられるということはない

一つは、「加圧シャツ」も買ったし、筋トレやるか、というような「やる気」を入れるためのきっかけとして「加圧シャツ」が機能してくれたことです。

明らかに下腹部が膨らみ、いますぐにでも筋トレを始めなければどんどん醜くなっていくということが明らかだったのに、なかなか筋トレを再開できなかった自分が、重い腰をあげることができたのは、まったく「加圧シャツ」のおかげであると言わなければなりません。

「こんなものがあるのならやってみようかな」というような、ちょっとした気分の変化は、筋トレを始めるにあたって重要です。難しいのは、その変化した気分を継続することや、「加圧シャツ」の効果に失望したあとも筋トレを続ける決意を持つことです。

もうひとつは、「加圧シャツを着たくらいでそう簡単に筋肉がつくなんていう都合のいい話があるわけがなかった」と知ることによって、真面目に筋トレに取り組もう、と仕切り直せたことです。

「加圧シャツ」について書かれているテキストなどを読むと、「加圧シャツ」を着るだけで筋肉がつく、というようなイメージをもたれるかもしれませんが、筋肉がついている人に共通しているのは、「加圧シャツ」を着ていることではなくて、地味できついトレーニングを日常的に継続している、ということと、食事に気をつけている、というこの二点に尽きると私は思います。

「加圧シャツ」を着て筋肉をつけた、というより、食生活を見つめ直して鍛え続けた身体の上に、「加圧シャツ」が重ねられているだけ、くらいにとらえるのが「加圧シャツ」に対する正しい距離のとり方ではないかと思います。

筋トレの報告はどうしても地味で平凡になる

「加圧シャツ」以外で自分が取り組んだことは、あまりにも平凡であり、かつ、地味な方法ですので、どのように書いたらいいのかわからないほどです。

いきなりハードな筋トレをするのではなく、まずは、食事を見つめ直し、ゆるやかなストレッチや、ちょっとした空き時間にできる軽めの筋トレなどを行うことからはじめました。

ちなみに、この地味な過程のなかで「加圧シャツ」は早々に脱ぎ捨てられることになりました。

特に重要だったのは、やはり食事です。

とくに、筋肉をそれほど必要とせず、ただお腹の肉を人並みのレベルにまで落としたいだけであれば、自分の生活のなかで「とらなくてもよい食事」をリストアップして、それらの誘惑にこらえるだけでも、十分に痩せることは可能です。

食事を我慢するのは大変ではありますが、私の場合は、食生活を改善してから数ヶ月ほどで、ぽっこりとついていたお腹の脂肪のほとんどを落とすことができ、体重でいうと8キロほど落とすことができました。

筋肉トレーニングは、腹の脂肪を食生活の改善で落としてから再開することになりました。

再開した、とはいっても、自分の目標は「マッチョ」ではなくて、「着たい服をスタイリッシュに着れる程度に身体を引き締める」というものでしたから、本格的な筋肉トレーニングというには、ややゆるめだったと思います。

「目標」をどの程度に設定するかによって、トレーニングの方法や量が変わってくるのも筋トレの面白さです。

私の場合は、「目標」がかなり低めでしたから、ジム通いなどすることはなく、オーバーワークは避け、自室でできる地味で基本的な筋肉トレーニングと、丁寧に筋肉をほぐすストレッチを重点的に行うことがメインとなりました。

身の丈にあった筋トレを継続するのがコツ

脂肪を落としたお腹を引き締めることを中心として、身体全体にほどよく筋肉をつけるというイメージでトレーニングを継続した結果、食生活の改善で時間をかけて脂肪を落としていたこともあって、腹筋などのラインが浮かび上がってくるのにそれほど時間はかかりませんでした。

ここからよりハードに鍛えていくか、それとも現状維持する程度の筋トレを継続していくかを、現在では考慮している段階です。

高すぎる「目標」を設定した場合、筋トレをしていて段々と辛い気持ちになってしまい、筋トレをやめてしまう、ということもあります。

自分の身の丈や、身についてきた「習慣」にあわせた小さな「目標」をたてて、無理のないように地道にじっくりと「目標」に寄り添っていくことが、おそらくは筋トレを長く続けていくコツなのではないかと思います。

痩せて、多少の筋肉をつけて、着たい服を着て、さて、自分が異性にモテたかというと、それに関しては、秘するが花ということで察していただければ幸いです。これからに期待といったところでしょうか。

個人的には、好きな服が着れたりだとか、身体を作り上げるために生活を律することのストイックな楽しさ、というものを改めて知れただけでも、筋トレを再開した甲斐があったのではないか、と考えています。

現在の私は、おそらく、「不純な理由」で再開した「筋トレ」それ自体にハマりつつあるという、第二のパターンから第一のパターンに移行する中間地点にいるのではないかと思います。